【レジェンド&ドラゴンズ】

どうもこんにちわ、笹村です。すっかり6月ですね。今年も折り返しってこと…?ほんとに…?

さて、今回は、中日ドラゴンズの伝説(レジェンド)「山本 昌(やまもと まさ)」さんについて、書かせていただこうと思います。一同、礼っ!(ナゴヤドーム方面へ敬礼しながら)。直れ! 着席。

まず先に、お話しておきたいのが私の野球人生についてです。

小学校3年生の時に地元、東京都日野市のお友達と「サンダーブラックドラゴンズ」という、突っ込みどころの多い名前のチームに加入したことが、野球人生の始まりです。
4名しかいなかったので「早朝に走る」「たまにノックする」がメイン活動でした。

走るときの掛け声は

先頭「サンダアー ドラゴン」

他3人「ファイア!」

先頭「ドラゴン」

3人「ファイア!」

ファイア!のときは右手を口のところにやって、炎を表現します。


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 し□\
  くレ

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しかし、キャプテンの「4人じゃ試合もできないし、飽きた」宣言によって2週間でサンダーブラックドラゴンズは解散。突っ込みも追いつかぬまま、私の野球人生は終わりました。

そんな私の野球知識は、中日ドラゴンズに関していうと「落合選手が監督をやってた」ということと、「代打に愛甲というかっこいい名前の選手がいた」という程度で、小3レベルのまま止まっております。最近、「ルナ」という名前は可愛いのにめちゃめちゃホームラン打つ外国人がいる、と京都の勝股支社長に習いましたが、えっルナ、今、広島? えっ…?

というレベルです。ドラゴンズファンのみなさま並びに全国野球ファンのみなさまにお詫び申し上げます。


そんな野球オンチの私が語って良い存在ではないですが、山本昌さんは50歳まで現役でプロ野球で投手をしていたすごい選手、ということは存じ上げております。
サウナでドラゴンズ戦が流れていると解説がたいてい山本昌さんですし。
お隣りのJRゲートタワー内に「東海圏最大のユニクロ」ができたときも、どでかい広告の中心にいたのはユニクロのジャケットをきた山本昌さんでした。

山本昌さんは、ただ選手として、投手としてすごいだけではないと。生粋の名古屋人であり現神戸支社長である田邊支社長からも、厳しく指導されました。

普段は寡黙な田邊支社長が、山本昌関連になるとめちゃくちゃ良く喋るのです。

「山本昌を登板」というときは、喜びのあまり、ちょっと地面から浮いていました。
「山本昌を駅で見た」というときは、両手のひらから光線のようなものを出して喜んでいましたし
「山本昌って引退するんですね」と私が聞いたら悲しみのあまり髪の毛が金色になって逆立ったり、していました。

そんな田邊支社長のおかげでとにかく山本昌選手は偉大である、東海の働くオジサンたちに「おれも50まではがんばらんとな…」と思わせる精神的支柱、ということは野球オンチの私にもしっかり伝わりました。田邊支社長、ありがとうございます。意味もなくサイヤ人扱いした非礼をお詫びいたします。


ご登録の皆様におかれましては非常にハードなお仕事に日々従事されていることと思いますが、もし他球団への移籍(転職)等をお考えの際は、是非お問い合わせいただければ幸いです。野球は2週間で引退しましたが、医療介護の人材ビジネスは十数年しておりますので、私の知識・経験の限りお手伝いさせていただきます。怪気炎をあげてお待ちしています。ファイア。


なお、今週末の東海テレビ「ぐっさん家」、ゲストは山本昌さんだそうなので、注目して見守りたいと思います。わくわく。

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