【京都「通り名」の不思議】

_

皆さんこんにちは!京都支店の藤田です。
突然ではありますが京都市内は、たくさんの通りが縦横に交差し出来ています。
その名前はとても個性的でおもしろい名前です。
そこで通りの名前と由来をお伝え致します。
京都の風景を思い描きながら、皆さんの京都を想像してください。

.

烏丸(からすま)通・・・かつて京都にはたくさんの河川が市内を縫うように流れていました。現在の烏丸通付近を流れていた「烏丸川」もその一つで、それが通り名の由来となったと言います。


柳馬場(やなぎばんば)通・・・天正17(1589)年、現在の二条柳馬場付近に京都最大の遊郭が作られ、そこに美しい柳並木が整備されました。また、慶長9(1604)年秀吉7回忌の豊国祭臨時祭礼の時に、この辺りで壮麗な馬揃えが披露されました。柳並木の「柳」と、馬揃えの「馬場」が合わさって、「柳馬場」という名称になったといいます。


蛸薬師(たこやくし)通・・・その昔、善光という親孝行の僧侶が病気の母親のために戒めを破って蛸を買ったが、まちの人に見とがめられてしまいました。危うく蛸を取り上げられそうになったとき、善光が薬師如来に祈ると、蛸の足が8巻の経典に変わって辺りを霊光で照らしました。以来、京都の人たちは尊崇の念を込めて、妙心寺の本尊を蛸薬師と呼ぶようになったといいます。


先斗町(ぽんとちょう)通・・・碓井小三郎という人が明治末期に著した『京都坊目誌』には、「寛文10(1670)年に鴨川の氾濫を防ぐ堤防が築かれたあと、鴨川の岸の先端に人家が立ち並んだので先斗り(さきばかり)という意味で“先斗町”と呼ばれるようになった」とあります。しかし実際は、ポルトガル語で「先端」を意味する「ポルト」が転化して、いつしか「ぽんと」と発音するようになったというのが真実だと言われています。


釜座(かまんざ)通・・・約400年前に豊臣秀吉が京都のまちの大改造を行ったときに開通 した道の一つです。釜を鋳造する鋳物職人が多く住む「釜座」が三条通にあったことから、当初からこの名で呼ばれていました。

.

_

当社は烏丸通にあります!市内の中心ですので、京都にお越しの際はぜひお立ち寄り下さい。

.

.

.